周布政之助 スフマサノスケ


[略歴](1823-64)萩藩士、名は兼翼、字は公輔、麻田と号した、本姓は周布、のち麻田公輔と称した、明倫館で学び、村田清風の藩政改革に従って手腕を認められ政務役となる、椋梨派と対立し江戸周旋や安政改革を画策した、禁門の変や四国連合艦隊に敗れ、藩の苦境に責任を感じ、山口の矢原で自刃した。
[墓]大津郡三隅町浅田の山、東光寺 (地図) に招魂墓
[旧宅跡]萩市土原2区(地図