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じ ょ う ど う え
成 道 会

 本年は黄檗宗東光寺を会場とし、成道会法要を執り行いました。(令和2年12月7日)




東光寺三門

文化9年(1812)萩10代藩主毛利斉熙(なりひろ)による寄進 (重文)




三門扁額「解脱門」

三門について、「寺院には空門・無相門・無作門という三解脱門が開かれ、持戒修道の者は涅槃に至るためこの三門に入る」、とされる(『釋氏要覧』)。

揮毫は即非如一(1606~1671)。中国福建出身の黄檗渡来僧。
隠元の下に印可を受け、師の東渡を追って来日し長崎崇福寺に至る。後に小倉福聚寺の開山に請された。
隠元門下で共に列した木庵性瑫(1611~1684)は、東光寺開山の慧極道明の師にあたる。

当寺の三門創建は即非示寂140年後であるため、創建にあわせて下書きを基に扁額を製したか、
あるいは当初は別に掲げられていたものを移設したのであろう。
落款「即非書」 関防印「臨済正宗第三十三世」 落款印「釋如弌印」「即非氏」




大書院玄関扁額「松関」

黄檗宗開祖となった隠元隆琦(1592~1673)による揮毫。
落款「黄檗隠元書」 関防印「臨済正宗」 落款印「隆琦」「隠元之印」
右落款「壬子孟冬」により、寛文12年(1672)10月、すなわち翌年春に82歳で遷化するわずか半年前に認められた極めて貴重な筆と知られよう。




方丈内扁額「寂照殿」

東光寺開山、慧極道明(1632~1721)による揮毫。
この扁額は明治維新後に解体された毛利家3代吉就公(東光寺開基)以降の奇数代藩主らの位牌を祀る、御霊殿たる「寂照殿」に掲げられていたという。
開山堂も解かれたため、現在方丈には開山尊像・真牌が祀られている。

落款「慧極明書」 関防印「臨済正宗三十四世」 落款印「一字慧極」「道明印章」
右落款「乙亥季冬」より、元禄8年(1695)12月であると知られる。
その前年2月に開基吉就公が江戸桜田藩邸で27歳で没した。ひとまず芝増上寺末寺の天陽院で火葬の上、遺骨を東光寺へ送り、5月に慧極導師により葬儀。
その後、位牌を祀るために「寂照殿」が建立されることとなった。したがって堂宇完成を見て筆を執ったのであろう。

その後明治6年、山口市に創建された野田神社に、幕末の藩政を牽引した13代藩主敬親公、その嗣子元徳公を祭神として祀ることとなった。
また、敬親以降毛利3代父子は、山口市香山墓所へ埋葬された。


 



成道会法要風景








山内の紅葉

もう12月ながらも、山内は鮮やかな紅葉で彩られていました。