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          油断〜油鉢の譬え

曹洞宗・海潮寺副・木村延崇


 半年ほど前ですが、いつものように息子を肩車すると、とてもはしゃいで喜びますので、調子に乗って階段を駆け下りたとたん、足を踏み外してしまいました。

 子供を手放したら大変です。

 息子の足をしっかりとつかんだまま倒れましたので、私は受け身も取れずに体の真正面から転んでしまいました。

 幸い子供はびっくりして泣いただけで怪我をしませんでしたが、私の方は翌日になっても打ち付けた胸が痛いので、レントゲンを撮ると肋骨にひびが入っていました。

 油断とは「油を断つ」と書きます。

 ある王様が家来に対して、油がなみなみと満たされた容器を目的地まで持ち運ぶことができたら大臣にしてやろう、でも一滴でもこぼしたら刀で斬り殺す、と持ちかける話が漢訳『大般(だいはつ)涅槃経(ねはんぎょう)』に出てまいります。

 神経を集中しないと命取りにさえなることのたとえ話です。

 実際に私もほんの些細な油断で怪我をしたばかりか、子供さえ大変な危険にさらしてしまいました。

 私たちは確実に衰えてゆくのに、ずっと若くありたいと願います。

 ですから、ちょっとした怪我や病気をすると「こんなはずじゃなかったのに」と現実の自分を突きつけられたような思いにもなります。

 私の場合は、年齢を重ねれば運動神経は衰えるのに、まだまだ若者だと思い、調子に乗ったところに油断のスキがあったのでしょう。

 日頃から謙虚に自己をわきまえている人こそ、小さな油断を防ぐばかりか、ここ一番でたじろがず、堂々とした振る舞いが出来るのではないでしょうか。

 この度の怪我の一件で、大いに反省いたしたところです。




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