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私の姿

浄土真宗・永照寺・松岡 洋之


 みんなで仲良く暮らしたい。

 ニコニコといつまでも笑って過ごしたい。

 しかし、時にはケンカをしたり、うまくかみ合わずにしょげたりすることがあります。

 どうしてこんな事になってしまったのか?

 不平不満が口からこぼれます。

 中国、唐の時代の善導大師は「お経に説かれている仏さまのみ教えは、喩えるならば鏡のようなものです。」とお示し下さいます。

 仏さまのみ教えという鏡は、人間の心の奥底を映しだします。

 自分の願いや思いのみに執着している私。

 立場が違えば、状況が変われば、願いや思いも変わるということに気づけない私の姿を照らし出してくれます。

 他人の願いや思いに耳を傾けること。

 相手の身になって考え、互いに理解しあい、生かしあっていくとき、争いの苦しみや悲しみから解き放たれていく道が開かれていくことを教えてくれます。

 周りを見渡せば、嫌なことや辛いこと、悲しいことがたくさんあります。

 家族のことや健康のこと、将来のこと、悩みのタネは尽きることがありません。

 何事も滞りなく順風満帆に進んでほしいものですが、そういう訳にはいきません。

 仏さまのみ教えの鏡をのぞきこんだ時、今の私の姿とあるべき私の姿を知らされます。

 自分だけ良ければいいと他人のことなど考えることのできない私が、自分のことだけでなく、少しだけかもしれませんが、他人のことを思いやろうとする心が育てられていきます。

 願いを自分にしか向けるのではなく、他人に向けることの大切さを知らされます。

 他人によろこびを分け与えていけるような願いを持つとき、私の姿は自ずと変えられていくに違いありません。




音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。