こちらは萩心の電話です 今週は曹洞宗広厳寺がお話し致します。
この春、20年ぶりに大学時代の寮の友人に会い、当時の事を懐かしく思い出しました。
寮生活を始めるにあたりまず、新入生全員、玄関正面にある「和合訓」を覚えさせられました。
この「和合訓」には、「堂中の衆は乳水の如くに和合して、互いに道業を一興すべし。」とありました。
言葉通り、この寮に入った者は、牛乳と水が出会うと、油みたいにはじきあうことはなく、すばやく交じり合うように、早くお互いうちとけ和み、求める道を進みなさい。という意味合いです。
同じような言葉に同事という言葉があります。曹洞宗では、今年の信仰生活の実践を「同事行」と定めてあります。
この事について管長様は『修行義』の教えの「海の水を辞せざるは同事なり、この故に、よく水あつまりて海となるなり」を用いて、こう言われています。
『海はいかなる水もこばまない、このことが同事であり、同事なるがゆえに大海となる。こばみ合い争い合う憎しみの連鎖は決して幸せをもたらさない、関わり合いの上に成り立っている世界は、理解し強調し合うことでしか、一つになれない』と言われています。
近年、パソコンの普及や機械の発達と個性重視の考えにより、人と人との関わりが減少し、互いの人間関係が崩れているように感じられます。
今の時代、個性を伸ばし自分を高めた上に、互いに和合し合うことが、より良い未来を作る道だと考えます。