トップ > ネット法話

このページは音声読み上げページです。下の[開始]ボタン(右矢印)を押すと、テキストの読み上げを開始します。[開始]ボタン(右矢印)が出ていない場合はここをクリックしてください。

      得度式

曹洞宗・海潮寺副・木村延崇


 この度まことに至らぬ身でありながら、仏弟子入門の儀式「得度式」を勤めさせていただく運びとなりました。

 私もおよそ35年前、今は亡き父親の下で得度させていただきました。

 得度式は、仏門に入る志あるものが、はじめて「仏弟子」になることを証明するために行われる儀式です。

 私どもの曹洞宗では、得度式の作法がいろいろ綿密に取り決められておりますが、その内容は大きく二つに別けられます。

 第一に、髪の毛を剃り落とし、衣や袈裟といった衣装や、応量器といわれる食器類一式を授かること。

 そして第二に、仏の具体的な教えであるところの戒法を授かること。

 この二点が得度の中心になります。

 これら一連の作法所作は、一般の方には専門的でなじみのないものかと思われますが、一点だけ申し添えたいことがあります。

 それは宗門の得度では、まず身なりを整え、そののち教えを授かる、という順番が厳格に定められているということです。

 これは換言すれば、形から入ることを仏門の第一段階とし、教えはその次の段階で授かる、ということが得度の厳然たる真意であるともいえます。

 では教えを授かり学ぶことを第一段階にしてしまうとどうなるでしょうか。

 私どもは経験・知識の深みに伴って、実は無意識におのれ勝手な眼を作り上げています。

 そんな自分色に染まった眼を顧みることなく教えを授かったとしても、都合よく教えの優劣をつけ、善し悪しを取捨選択し、結局独善的な学びしかできないのです。

 髪の毛を剃り落とし、何ものにも染まりようのない墨染めの衣をいただくというのは、自分勝手な物の見方、立ち居振る舞いを一切捨て去ることに他ならないと象徴的に表しているのです。

 したがって歴代の祖師たちによって定められた形を、そのままそっくり頂戴することこそ、仏道入門の第一段階なおかつ必須条件に位置づけている。

「自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり」(『現成公案』)という、あまりにも有名な一節のとおり、宗門の定める得度式は実に理に適った儀式であると、改めて思い至る次第です。