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          沈黙の功徳

曹洞宗・海潮寺副・木村延崇



 禅僧が修行する道場には、絶対にしゃべってはならない場所として、浴室・手洗い・坐禅堂の三つがあり、これを三黙道場と申します。

 坐禅堂は食事をいただく場所でもあります。

 したがって、修行僧は食事、排便、入浴の時は私語を慎み、黙って行わなければいけません。

 黙々と行うということは、心を込めて真剣に行うということです。

 食べる、排泄する、身を清める、という三つは、生きるために欠かせないとても大事な行いです。

 生きるための基本的なことを黙って真剣に行うことが、翻って人生を真剣に全うすることになるのです。

 テレビを見ておりますと、歯に衣着せぬ勢いで政治批判などを次々展開される解説者がよく出演されています。

 こういう方々が世間一般に評価されているとするならば、視聴者の多くが「この人は相当頭の回転の速い人だなあ、きっと頭が良いに違いない」と、感心なさっているためでありましょう。

 一方、沈黙を大切にする人は、他人の美点をいうことはあっても、決して欠点を口にしないものです。

 自分を棚に上げ、よそ様のことが気になって仕方がないのが、凡人としての私たちです。

 たとえ饒舌ではなくとも、黙って愚直に生きる人こそ、深い含蓄を持った人生を送ることができる。

 沈黙の功徳とはここにあるのではないでしょうか。




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