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          卒業後の人生を見据えて

浄土宗・俊光寺副・岩垣貴頌


 四月になり所々で桜の花が咲いているのが目につくようになりました。

 入学や卒業、この桜の花が咲くのを見ると新年とはまた違った意味で新しい年がはじまるんだな、という気分になります。

 この様な節目の時期というのはみなさん「今年一年はどんな年になるだろうかな、どんな年にしようかな」という思いをもたれるのではないかと思います。

 ついつい目前の予定にばかり意識が行ってしまって、その日その日の出来事に追われる毎日を送りがちになってしまいますが、この節目こそ、先々のことも考えないといけないのでしょうね。

 下ばかり見て散歩するよりも、前や遠くもちゃんと見て散歩していたほうが同じ様にただ歩いているだけでも楽しさが違う気がします。

 それに、遠くの景色の美しさが分かるからこそ、一層、足元の花への感動が強くなりますしね。
 
 今を大切に生きようとするとついつい足元にばかり目が行きがちですがそうではありません。

 実際には遠くを見据えるからこそ今を大切にできるものだったりします。

 「卒業してからも仲良くやっていこうな!」というような人は自然とそのように、そうなるように周りに接し、周りもそのように接すると思います。

 人生に卒業を当てはめてみると、自分がこの世から去った後のことをきちんと見据えることが出来る人は、「卒業してからも仲良くやっていこうな!」と言う人と同じ人だと思います。

 自分の終点をこの体が朽ちるまで、卒業まで、と短く定めてしまうよりも、ごく自然に今を一生懸命に有意義に過ごしていけるのではないかと思います。

 そして、周りの人を大切にできる人は当然のように周りの人からも温かく接してもらえます。

 「あの人とは死んだ後でも一緒にいたいな!」と思ってもらえるような、そんな人はおそらく充実した人生を送れそうです。

 あとに残される人のことをあまり考えずに、人生の卒業という自分の死後のことにもあまり関心を払わない人はやはり、生きている間からすでに、周りの人はその方への関心を失っていってしまうことが多いように思います。

 対して、ご自分の死に関してしっかりと向き合い、後のことまで考えておられる方に対しては生きている間は当然のように、そして、亡くなったあとですら周りの人たちはその人との関係を大切にしているように思います。

 ついつい目先のことばかりに囚われて足元がおぼつかなくなってしまいがちですが、きちんと前を向いて一歩一歩を大切に歩いていきたい。そのように感じています。




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