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桜にみる

浄土真宗・平安寺・後藤泰裕


 よくお店等で「限定」と書かれたものを見かける事がございます。

 例えば、「こちらのプリンは1日10個限定となっております。」

 例えば、「こちらのメニューは冬の限定商品となっております」と、言った具合のものです。

 このようなキャッチコピーによって心を揺さぶられた経験が皆さまにはございませんでしょうか?

 私には大いにございます。

 特に季節限定の物に関しましては一層強く心を揺さぶられます。

 さて、普段の生活の中では商品や食べ物にしか「限定」というものを、見つけられないこの私ですが、よくよく思い起こすとこの世の中は「限定」だらけでございます。

 自然には特に限定が多いですが、真っ先に思いつくものがございます。

 それが、桜でございます。

 この桜というもの程、有名で華やかな限定品はそうそうないのではないでしょうか?

 毎年決まった季節、短い期間だけの開花となりまして、その後すぐに葉になってゆきます。

 この桜というもの、期間が短いだけに心がざわつきます。

 平安時代初期の貴族、在原業平の句にこのようなものがございます。

 「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」

 意味と致しましては、「この世の中に、もしもまったく桜というものがなかったならば、春を過ごす人の心は、さぞのんびりと落ち着いたものであったろうに」となります。

 春の季節には、桜があるために人々の心が穏やかでないことを述べて、人の心を騒ぎ立てる力のある桜の素晴らしさを伝えようとしている作品であります。

 実はわたくしたちは、最も身近な限定品であります命というものを背負って生きております。

 その命というものの限定期間が切れることなく、また1年後には、春の桜に心を騒ぎ立ててもらいたいものだと思いました。




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