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          お念仏と共に生きる −絶対平等の世界−

浄土真宗・圓徳寺・木村岳秀


浄土真宗のみ教えは、阿弥陀仏の、いつでも、どこでも・だれでも、お救い下さるということが基本にあります。ただ何もなく救われるかというと、信心を戴かなければ、お浄土に生まれることはできないと説かれています。

信心は、救われるための条件ではなく、信じたから救われるのではありません。救われることが間違いないと、疑いなく自分自身に聞き届けられて、うなずいていくことが信心であるといえます。だから賜りたる信心は、みんな平等に与えられる慈悲であり、私たちにかけられた如来さまの願いであります。

その阿弥陀仏の願いという光は、私たちに平等に注がれています。その光に照らされて、自らの心を見つめ、その弱さ、あり様にしっかりと気づくことが、念仏者の第一歩です。

そして、ありのままの自分に気づき、すべての人々を、ありのままに尊重していくことによって、善悪や優劣の評価をはなれた平等のまなざしを、身につけていくことができるのです。

私たちは、阿弥陀仏の絶対平等な慈悲の中に、おさめ置かれている喜びを通して、すべての人々を平等に見ることの出来る世界を開いていき、また、すべての人々と手を取り合って生きることのできる世界を築いていく、それが念仏に生きる者の姿であるといえましょう。

阿弥陀経に「青色青光・黄色黄光・赤色赤光・白色白光」とあります。それぞれの色が、それぞれの光を放って美しい。あたりまえのことのようですが、私たちの心の中で、ひいては社会の中でその『色』に優劣を感じたり、序列をつけようとしていないでしょうか。

チュウーリップの歌にも、「あか・しろ・きいろ、どの花見てもきれいだな。」のように咲いているどの花にも、それぞれの色が、それぞれの光を放っている、そのありのままのがとても美しいのです。

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