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如来様から願われて、頼まれているんです!
(浄土真宗・光圓寺・阿武正法)
生まれがたい人間の境界に幸いにも生まれさせて頂き、遇い難い仏法のご縁に今、こうして遇わさせていただいています。
お寺に参らせていただく、仏法のご縁にあわさせていただくことは、お三部経のそれぞれにあります通り、最後はみんな、歓喜、歓喜でくくられてあります。
身によろこび、心によろこぶ、そういう身にお育て頂く。喜ばなきゃならんことは色々ありますけど、私は親鸞さまによって、なにより私に合う教えに出あわさせていただきました。
あたりまえの、平生の日暮らしをする中で如来様のお慈悲の働きの中に生かされてあることをいまよろこばさせていただく。
浄土真宗のご法義はお礼を申すご法義です。
拝んで助けてもらうのではありません。
仏さまの方から頼まれて、拝まれておるのです。
ですから、「まるで世間の常識とはちがう」と先人方は言い残して下さいました。
世間は大体、拝んで頼んで願ってです。
如来様から願われて、頼まれてある事をよろこぶんだというのが浄土真宗です。
だから浄土真宗のご法義は「お礼を申す」ご法義です。
お礼を申すということは「頭を下げて参るのではなく」、「頭が下がる」身にお育て頂くのがお念仏の教えです。
そのお礼を申し、頭が下がる世界が知らされると言うことは、恩の世界が知らされると言うことになりますけれど、世間の恩がありがたいと言うだけであればわざわざお寺に行かずともそれなりに味わうことが出来ます。
たとえば「ご先祖のおかげとか」「たくさんの他のいのちをいただいて生かされている」とかこのようなことは他でも説かれている事です。
私たちは世間の恩を喜ぶことも人間として大切ですが、それにも増して仏さまのご恩がよろこべる、如来の大悲がよろこべる身にお育ていただく事がまず大事であると思うことです。
聴聞を繰り返して参りましょう。
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