明けましておめでとうございます。昨年に引き続きまして、本年も萩心の電話をお聞き下さいますようお願い申しあげます。
お正月と申しますと、年賀状が楽しみと言う方もおられることと思います。しかしながら、中には昨年「年賀欠礼」の葉書を受け取った、或いは差し出された方もおられることでありましょう。
なぜ「年賀欠礼」の葉書をやりとりするのでありましょうか?冠婚葬祭の本には「年賀欠礼」しなければならないと書かれていることでしょうし、社会的な慣習となっております。これは明治7年に出された「服忌令」というものが元になっているようです。
身内に死者が出て身が汚れているので一定期間行いを慎み、家にこもって外に出る事を控え、身を清めるという内容です。現在これをそのまま実行することは出来ません。会社や仕事を休めるのはせいぜい一週間位のものでしょう。
本当に喪に服しているのならともかく、なにも解らないのに一般社会でしていることだから、或いは周りの人に言われたから、また、おかしいと言われたくないが為に、単にそうしているだけではないでしょうか。
「死」を汚れとする、穢思想に由来するものであります。仏教では、死はタブーではありません。死ぬということは、生まれてきたら必然的なことであります。身近な「死」を機縁として、私自身の「生」を見つめ直す機会でもあります。
何が正しいのか、間違っているのか、他人の言葉をそのまま信じるのではなく、自ら真偽を見極めるように努める一年にしたいものであります。