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          なぜ?学習

曹洞宗・広厳寺・三好克典


私事ですが、我が家には今二歳九ヶ月になる男の子と女の子の双子がいます。先日、テレビを見ていた女の子が拉致事件関係者の顔写真の映像を見て、「かわいそうね。」と突然いいました。

又三つの丸いせんべいを指差し、「ミッキーさん。」とはしゃいでいました。この歳ですから事件の内容など知りません、又せんべいも私達が見たら、ただの三つのせんべいですが、言われてよく見るとその重なり方がミッキーマウスのキャラクターに良く似ていました。

改めてこの時期の子供の脳の発達や感受性の高さを感じさせられました。

 二人は常に一緒に生活していますが、物の覚え方が違うようです。テレビや本をよく見ている男の子は、ひらがなを形で覚えているようですし、人との会話が好きな女の子は、「い」という字は「犬のい」と物にたとえて覚えています。

この様に二人の覚え方が違うように子供達には千差万別の物のとらえ方があります。しかし、今の教育は残念ながらまず皆一線に並び、同じように知識を詰め込んだり、技術を競い合ったりで、これでは「なぜ」勉強するのかという疑問がでます。

曹洞宗の開祖道元禅師様は、中国で修行していたときに熱心に先人が書き残した教え「語録」を、時間をおしまず読んでいたそうです。その姿を見た先輩から「何のために、又あなたの求めている物が本の中にありますか。」と聞かれたそうです。

この問いかけより師は今はまず自分の心のもとをただすことが先決と気が付かれ座禅に打ち込まれたそうです。

なぜ、私達は学習するのでしょうか。私達が勉強し多くの知識を学ぶのは、まずは一人前の人間として生活を営むためではないでしょうか。だから子供の頃からある程度の教育、しつけは必要です。

しかし、子供に対して過剰な期待や束縛により、子供が本来持って生まれた自分らしさを失わないように、私達が時間的余裕や精神的余裕を十分与える事が必要ではないのでしょうか。
 

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