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難値得遇
(浄土宗・常念寺副・野花祥生)
浄土宗の宗祖法然上人は仏教との出会いについてこのように申されています。
「何度も生まれかわり死にかわりを繰り返して生まれることの難しい人間としてやっとこの世に生まれ、長い時間をかけてようやく仏様の教えに出会うことができ、またお釈迦様が生きておられる時代に居合わせることが出来なかったのは残念だが、仏教が普及している世の中に生まれたのは喜ぶべきことである。」と申されました。
つまり仏様の教えに触れることはとても難しく、また貴重なことと感じておられました。
私たちはいま、当たり前のように人間として暮らしておりますが、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天と六つの世界の中で、いまはたまたま人として生まれてきただけであります。
人として生まれる前も人であったかどうかは分かりませんし、人としての命が終わった後も、天に生まれるか地獄に生まれるかも分からない身であります。
また人として生まれてきても仏教に出会えるかどうかは分かりません。
私たちはたまたま日本という比較的仏教の広まっている国に生まれたので、仏教に接する機会が多いですが、仏教が広まっていない国に生まれていたら仏教のことを知ることもなく生涯を終えるかも知れません。
欧米や中東に生まれていたらおそらく仏教というものがあると知ることが出来ても、信仰するようになる人は非常に少ないと思われます。
また仏教の盛んな日本に生まれたとして、仏教というものがあると知っていても自分には関係がないことと思って生きている人もいます。
死ぬときになって始めて葬儀を通じて仏教と関わりを持つ、という人もいないわけではありません。
たまたま人としてこの世に生まれることが出来、また世界の中で比較的仏教が広まっている日本という国に生まれ、仏教以外にもいろいろな宗教が広まっているにも関わらず、縁あって仏教に出会えた。
そのことは当たり前のことではなく、非常に難しく貴重で喜ぶべきことではないでしょうか。
そしてせっかく仏教と出会えたのですから、仏教の信仰を続けていくことがより大切であると思います。
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