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          迷転開悟

浄土真宗・光源寺副・三上照文


 私事ですが、7月に大腸の内視鏡検査を受けたところ、ポリープがあり、その場で切除しました。

 検査の結果、ガンではなく良性のポリープでしたが、検査結果がでる2週間ほどはとても不安な毎日を過ごしました。

 その時、私が先ずとった行動は、図書館で大腸ガンの本を読みあさることでした。

 それから、書店で『ガンにならない食生活』やら『病気にならない生き方』といった本を買って読みました。

 しかし、そんな本を読みながら、日頃ご門徒さんに、必ずお浄土にまいらせていただきますと説きながら、自分がおろおろしているではないかとふと思いました。

 ところで、仏教にも体をいやすための様々な実践方法が説かれているそうです。

 しかし、健康法を説くことが仏教の目的ではありません。

 迷いを転じて悟りを開くことが仏教の目的です。

 人は老い、病気になり、必ず死にます。

 これが人生の苦の現実です。

 そして仏教では私の苦悩の原因は私の煩悩にあると教えています。

 ですから、私に煩悩がある限り苦悩します。

 逆に言えば、煩悩をなくせば苦悩もなくなるわけです。

 しかし、それは簡単なことではありません。

 歎異抄に「なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり」とあります。

 最後の最後まで娑婆が名残惜しい、いますぐは浄土にまいりたいとは思わないのが人情というものでしょう。

 しかし、娑婆の縁尽きて、力なくして終るとき、必ず浄土にまいらせていただく身であるということに何の疑いもないと親鸞聖人はおっしゃるのです。

 阿弥陀様は煩悩を断ったら、おまえを救ってやると言われるのではありません。

 ガンに脅えおろおろする私をそのまま救うとはたらいてくださるのです。
 
 そういった阿弥陀様のお慈悲をいただく中に、自分のことしか考えられない迷いが転ぜせしめられ、苦悩が超えせしめられてゆく道があるのです。

 それがお念仏の道です。




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