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          心・魂と夢

                                      (臨済宗・徳隣寺副住職・阿部浩岳)


毎日うだるような暑さが続いておりますが、皆さんお健やかにお過ごしでしょうか。お茶などを努めて摂るようにして、この暑さを乗り切って下さい。

本日は、私達の心、魂について考えてみたいと思います。

私達は心と身体と言う表現をよく使いますが、心と身体について改めて考えると、身体は親に与えられたものと考えられれます。では、心も親から与えられたものでしょうか。

この点については、数年前に『父母に仮に呼ばれて客に来て、また、たち帰る元のふるさと』という言葉を耳にしたことがありました。

その瞬間に、元々はこの世とは異なる世界に属しており、何らかの修行の課題を与えられてこの世に一時的に来ては、また帰る性格のものではなかろうかと感じました。

お釈迦様は、『この世は無常である。変わらないものは何一つ無い世界だ』とおっしゃておりますが、私達の身体は、歳を重ねるごとに成長し、老化し、やがて死を迎えます。

大きく考えれば、死とは心が着ている服が、ボロボロになったから脱ぎ捨てるようなもので、身体は、この世からあの世へ魂が乗っていく、船のような物と考えられます。

更に、たち帰る「もとのふるさと」については、人が睡眠中に見る夢には、その人が見たことも聞いたこともない場面が現れることがありますが、これは睡眠中に、心・魂が肉体を離れて、魂のふるさとに帰って、この世でのストレス等の調整を受けているためであるとも聞いたことがあります
私達は、いずれは訪れる「もとのふるさと」へ帰る日を迎えるに当たって、迷うことなく、無事に帰ることができるよう、この世に一切の思い、執着を残さないように、常日頃から心がけて生きることが大事なのです。
 

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