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「聞く」ということ
(浄土真宗・真行寺・波多野世雄)
こちらは「萩こころの電話」です。今週は浄土真宗真行寺が、お話しいたします。
口がとんがってしまうと 耳が粗末になる 口より耳が大切なのに
これは「ほのぼのカレンダー」の中にあったことばです。
口ばかり達者な人は他人の言うことを聞こうとはしません。つまり自分の言うことが正しいといつの間にか思い、他の人のことばを聞くことを忘れてしまいがちなのです。
そうではなく、まず自分の口から出ることばよりも、他人のことばに耳を傾けることを忘れてはならないのです。また自分のことばすら、自ずと耳から聞き、理解していることも忘れてはならないのではないでしょうか。
人は自分の意志を他人に伝えます。それが強すぎると他人の意志をいつの間にか聞こうとせず、伝えるだけになってしまう。現代は老若男女を問わず、他人のことば(こころ)を聞こうとはせず自分のことば(こころ)のみ主張する傾向にあるのではないでしょうか。
キャッチボールでいうと相手にボールを投げるだけでボールは戻って来ない。それは相手のエラーではなく、相手はちゃんと受け返球していても、戻ってくるそのボールを受け取ろうという体制にない自分がいるのではないでしょうか。
浄土真宗では聞くことを大切にします。『大経(仏説無量寿経)』には、「その名号を聞く」とあり、親鸞聖人は『教行証文類』「行巻」に「聞といふは衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり」と示されるように、仏願の名号、つまり仏願を聞くことが仏法に出遇うことなのです。
阿弥陀如来は常に私たちに聞けよ聞けよとはたらきかけ続けているのです。その阿弥陀如来の救いの声を聞くと共に、自分の口ばかり開くのではなく、まずは他人のことばに耳を傾けることを忘れてはならないのではないでしょうか。