形は滅びても人は死なない
(浄土真宗・平安寺・後藤泰裕)
私事ではございますが、先日祖母が往生致しました。
行年87歳。
血縁のある近しい人間の死という経験は私にとっては初めてでありました。
病気によるもので、病巣が発見された際には既に手遅れの状態。
入院期間は1ヶ月足らずと短いものでした。
短い期間でございましたが、祖母の入院中には血縁の有無に関わらず沢山の方がお見舞いに来られました。
既に病気が進行しきって話すのも辛そうな祖母でありましたが、お見舞いの方に対して「ごめんね」「ありがとうね」と何度も何度も、何度も申しておりました。
私は祖母がこのような状態になるまでは、祖母の心持ち、姿勢等は見ようともしておりませんでした。
往生致しました祖母でございます。
しかし、その最後の入院生活は私の脳裏に焼きついて離れません。
大谷大学で教授をされていた金子大栄先生のお言葉にこのようなものがございます。
「花びらは散っても花は散らない。形は滅びても人は死なぬ」
祖母も形は無くなってしまいましたが、確かに私の中に生きてくれているのだなぁと感じずにはおれません。
夕方に西の空をふと見渡すと、鮮やかな夕陽が輝いておりました。
ああ、祖母も間違いなく阿弥陀様のお働きにより、西方浄土に往生をさせてもらったのだなと思うと、自然とこぼれおちていきます。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、と。