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          自灯明 法灯明

浄土真宗・三千坊・下間信英


 お釈迦様の晩年のことです。各地に遊行の旅の最中、お釈迦様はたいへんひどい病気にかかられました。この時、お弟子さんたちはお釈迦様がもしお亡くなりになったら、あと誰をあてに頼りにしたらよいだろうかと心配になりました。このことを察知されたお釈迦様は、お弟子さんたちに次のようなお話しをされました。

 自らを灯明とし、自らをたよりとして、他をたよりとせず、法を灯明とし、法をたよりとし、他のものをよりどころとせずにあれ。

 『大般涅槃経』というお経にでてくる「自灯明、法灯明」という大変有名なお言葉です。

 ここでお釈迦様がおっしゃる「法」とはものの本当のあり方のことです。例えば、すべてのものは、刻々と変化し、永遠に続くものは一つとしてありません。この疑いようのない事実が「法」です。

お釈迦様は、このことを「一切は無常」と言われました。また、全てのものは、よりあって、ささえあって成り立っています。この事実が「縁起」という「法」です。これらのことは誰もが認める普遍的真理にほかなりません。

しかし、私たち人間は、この明白な事実でも、自分自身の事となると、これを認めようとしません。人は死んでも、自分は何時までもこのままだと思っています。これが迷いの原因です。

お釈迦様は、自分だけは例外とする、自己中心的な誤りに気づき、迷いから脱出するには、「法」の真理に考え方の根拠をおくことが大切だと言うことを「法を灯明とせよ」という言葉で教えられたのです。

 しかし、私たちはこのような真理に基づかないで、人の言ったことに左右されがちです。権威のある人に追従してしまい、自分で考え、自分ではっきりと見定めることをしません。実は、人に追従した方が安易だからです。しかし、結局、「信用していたのにだまされた」ということになりがちです。

人に頼るのではなく、「法」によって自分で何が正しいのかを、はっきりと見定め、本当の自分を確立してゆく事が大切であることを、お釈迦様は「自らを灯明とせよ」とおしえられたのです。

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