慈悲に育まれる
(浄土真宗・永照寺・松岡 洋之)
世界各地に拡がった新型コロナウィルス感染症は、いつ終息するかも分からないまま。
先行きの見えない生活が続いています。
日に日に増えていく感染者数を見て、「こちらに来なければいいのになぁ。」と思ってしまう私の姿がありました。
そして、ハタと気が付きます。
「こちらに来なければいい」という思いは「あちらに留まっていてくれればいい」という「あちら」にいる方のことなど一切考えていない浅はかな自己中心的な考えに他なりません。
「慈悲」とよばれる仏さまの御心があります。
他者のよろこびを我がよろこびとし、他者の悲しみを我が悲しみとしてはたらく心です。
それに対して私の心はどうでしょうか?
他人の喜んでいる姿を見れば羨み、妬み、他人が悲しんでいれば同情はするかもしれませんが、心の奥底では自分じゃなくて良かったと安堵するかもしれません。
自分さえ幸せであればいいと思い、自分の都合が良いように幸せを求めて生きている私の姿です。
そのような私が、仏さまの御心に触れて、自分の愚かさを少しずつ知らされていくと、自分に都合の良いものを求め、都合の悪いものに怒り、それが当たり前だと正しいことだと開き直っていた今までの自分が恥ずかしくなっていきます。
そして、恥ずかしくない様に生きていこうと少しずつ少しずつ育てられていきます。
今、自分だけは、「こちら」だけはと考えるのではなく、皆で助け合っていく活動が求められています。
周りの方々を慮る行動を心がけていくことが、この感染症の流行の終息につながるのではないでしょうか。