人間という字は「人の間」と書きます。人間という存在、一人では生きていけない存在ということです。
私達はいつもの生活の中で、一人になって周りのことに気をつかわず自由に生きたいと、こう思うのですけれども、「思い」は、「思い」としてありますけれども、私の生活ということになりますと、その間から逃げたいという「苦しみ」となって、毎日の生活をしているのではないでしょうか。
そういうことを見ますと、私達の現在、生きている生きざまそのものが、苦しみというものを生み出している、ということになるのではないでしょうか。
お釈迦様は、人間の苦しみは、一番根源的には四つ(四苦)あると云われました。「生・老・病・死」です。
誰でも人間は、気(思い)は若くても、肉体は必ず「老」いていき、その老いに納得がいかないと言うところに、悲しみを通り越して、苦しみとなっていくのです。
それから「病・死」ですが、自分の体が自分の思い通りにならない苦しみ、「病気になたらどうしよう」「死んだらどうなるだろう」と、その「思い」に、しばりつけられている、そこに苦しみがあるのです。
それでは、「生きる」ということに苦しむというのは、どういうことなのか、何で苦しむのか、と言うことですが、これは、「おぎゃー」と生まれて生を賜った瞬間から、「差別」ということに苦しむのではないかと思います。
私の苦しみの原因は、他にあるのではなく、私の中にある、理性(思い・根性)によって、私自身を苦しませているのです。思い通りにならないという、、、、。
ですから、生きている証(あかし)は、逆に、苦しみがあるということなのです。