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インドにて
(曹洞宗・福昌院内・上原大秀)
私がインドを旅したときのお話をさせて頂きます。
インドの仏教の聖地で、お釈迦様が初めて仏法をお説きになった場所と伝えられているヴァラナシという町があります。
その町を訪れたときの事。
私は夕食を求めて町を歩いておりましたら、通りの向こうから一人の少年、もちろんインド人ですが、その少年が屈託ない笑顔でこちらにかけよって来て、ジャバニーズ何しているんだ?と尋ねてきました。
夕食を食べる店を探しているんだと答えると、じゃあおいしい店を紹介してやると言います。
うすうす少年の魂胆には感づきましたが、子供一人くらいたまにはおごってやろうと、貧乏旅行にも関わらず思い上がって少年と夕食を共にし、楽しい一時を過ごしました。
その次の日、偶然又、少年と出会い、今度は知り合いが民族楽器の店をやっているから一緒に遊びに行こうと言います。
渋々ついていくと、いろいろな楽器の説明をされ、楽器のセールスを受けましたが必要ないので買いませんでした。
その日はそこで少年と別れ、もう会う事もないのだろうかと思っておりました。
それから2,3日後、再び同じ少年と出会い、今度はお茶のおいしい店があるからいかないかと誘われ、お茶を飲みに行きました。
もちろんこちらのおごりです。
お茶を飲み、話していると今度は又、別の商売話をしてきます。
日本人の感覚では考えられませんが、あちらでは十才なるかならずの頃にはすでに商魂たくましい商売人です。
当時それを理解していなかった私は、少年にあきれ果て説教のつもりで軽く叱りました。
しかしそれはこちらの常識の押し付けでしかありませんでした。
何よりも私が調子に乗って太っ腹なふりをしたのが過ちだったのです。
今でもあの時の少年の寂しそうな顔が忘れられません。
無理に物事をこなそうとすると必ずといっていいほどその無理は形を変えて跳ね返ってくるように思われます。
お釈迦様は中道を説かれました。
中の道と書いて「ちゅうどう」と読みますが、前に出すぎず、かといって下がりすぎず、ちょうど真ん中くらいのところでやりましょう、と言う意味のお言葉です。
実践してみるとこれが中々出来ないのですが肝に銘じておきたい言葉です。
音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。