トップ > ネット法話

このページは音声読み上げページです。下の[開始]ボタン(右矢印)を押すと、テキストの読み上げを開始します。([開始]ボタン(右矢印)が出ていない場合はここをクリックしてください。)

    平坦な道だからこそ

曹洞宗・大覚寺・末益泰輝


 今年も早や10日余りが経ちました。お正月のお休みもつかの間、日常の生活を送られていることと思います。

 今年も身体と心に留意されて、健やかにお過ごしになられますことを念じ上げます。

 中学生の二男が、別室で学校に提出するための「書初め」をしております。

 覗いてみると「始」という一文字を、「ああでもない、これはどうかなぁ?」などとつぶやきながら、何枚も書き上げています。

 その様子を微笑ましく思いながら、ふと思い出したことがあります。

 自分たちが小学生の頃も、冬休みの課題として「新年の決意」といったものを定め、それに伴う作文をして、休み明けに学校に提出していたことです。

 大人になると、新年を迎える折に、「今年も健康で過ごせますように」とか、「家族みんなが仲良くいられますように」という、お願い事こそあっても、「今年は自分はこういう風にやっていくぞ!」という改まった決意表明は、なかなかしないように思います。

 今年は自分なりに新年の抱負を定めてみようか、と思っていた矢先、外出先の道沿いにあるお寺の伝道掲示板の言葉に目を惹かれました。

 そこには大きく墨で、

「平坦な道を 気をつけて 歩く」

 と書かれていました。

 成程、新年だから何か特別な思いや決意を、と意気込むことも良いけれど、普段の「当たり前」と思っていることに、十分気を付けて、大切に勤めることが大事だなぁ、と考えさせられた次第です。




音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。