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愚者の自覚
(浄土宗・俊光寺・岩垣法順)
浄土宗の21世紀劈頭(へきとう)宣言についてお話し致します。
劈頭(へきとう)というのは、余り聞き慣れない言葉ですが、物事のいちばん初め、最初、冒頭、という意味です。
宣言は、意見、方針を表明することですから、浄土宗が今世紀に入りその冒頭にあたり、高らかに意見を表明しますと言う事です。
その中心は 「愚者の自覚」です。
愚者というのは愚かな者と書きます。
「愚かであると言う事に気がつきなさい」と言う宣言です。
「賢くなりなさい」と言うのなら誰でも良くわかります。
誰もが賢くならなければと思い、努力し頑張っています。
人間は知恵在る者として、過去から現在の今世紀に到るまで、生きて来たのです。
どこまでも賢くなれると信じて、そのことを証明するかのように、科学は日進月歩めざましい発展を見せたのでした。
一方で、私達はその花開いた文化を享受し楽しむ事で、もっと豊にもっと便利に、もっと快適にと言う思いに振り回されているというのも現実です。
人が人を殺す戦争は終わることはなく、その破壊する力は人類の滅亡、果ては地球さえもその存続の危機が危ぶまれています。
人は賢いと言えるでしょうか?
明るく、楽しく、仲良く生きていこうと誰でも思います。
殺してはいけない、盗んではいけない等々、してはいけないことは百も承知です。
それなのに何故私達は間違いを犯してしまうのでしょう。
聞き慣れた煩悩という言葉を出すまでもなく、人は、正しいこと、間違ったことをしないようにしよう、悪いことはしないようにしようとしていても、間違いを犯すものであるということ、歴史を見ても理解されます。
自分自身を振り返ることで、いよいよ益々その思いを強くします。
賢くなりなさいでは、過ちは繰り返されます。
早くそのことに気がつき、愚者の自覚に立って、真の意味の賢者、賢い人になりましょう!というのが、「愚者の自覚」の意味です。
自覚というのは、自ら目覚めるということですから、人に言われ、人に指摘されて成る程そうだと言う事では、自覚とは言えないと私は思っています。
自覚とは、自らが自分に言い聞かせ、自ら納得する世界です。
人に言われる事ではないのです。
人に言われて腹を立てる人の何と多いことでしょう。
どうぞ仏様の前で静かに自分を見つめ合掌して下さい。
音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。