今回は、法話ができるまでに経験した出会いからお話をさせて頂きます。
当初、テーマを今話題の『おくりびと』に求め、本を読みました。
昨年、父が満95歳で旅立った折に賜った多くの方のご厚意と、ご助力への感謝がまだ冷めやらぬ中、著者の力量も相俟って共感を覚えながら一気に楽しく読ませて頂きました。
しかし、法話とは今一歩の状態、頭を抱えておりましたら、ある方から浜松医科大学名誉教授の『念ずれば夢かなう』という本が届きました。
すると、東京の知人の奥さんから電話がかかり、「主人が大手術を受け、麻酔が切れる時に大変痛む」とのこと、ご縁を頂いた『念ずれば夢叶う』の本で白隠禅師が熱心に唱えるようにお勧めになった『延命十句観音経』を送信、病院へ持参して頂きました。
これまでもこのお経は幾度も唱えさせて頂いてはおりましたが、その奥深さをこの度の誠に有り難いご縁によって初めて教えて頂くことができ、腑に落ち始めました。
十分に読み込んだ訳ではないので恐縮ではありますが、特に重要と思えるところを以下に抜粋いたします。
私たちは『お腹の中心に自分の本来の清らかな心がある、自分の臍下丹田には輝く浄土がある』と確信し、お経の言葉は、この本来の心を直接刺激しその心を自覚させてくれる。
次第にお経の意味するような心に変わってゆき、次第に釈尊と同じような心をもつことができるようになれる。
しかし、本来釈尊と同じ心を持っているにも関わらず、妄想、煩悩の雲に覆われ、怒り、憎しみ、欲望により、光を外に出すことが出来なくなっているだけである。
そこに読経の意味もあり、『観音経』を唱える意味もある。
私たちの心には、本来『およそ純な願いは必ず叶う』という力があるとも理解できるし、その心の具現である観音様が願いを叶えるともいえる。
白隠禅師もおっしゃっているように、観音の力には実際に奇跡を起こす力がある、それを信ずれば、必ず観音の慈悲を受けることができると確信できるようになったとのことです。
今後もこのご縁を大切にして、本を読みこんでいこうと思います。
最後に、『延命十句観音経』を一度読ませて頂きます。
観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄 朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心