益田元祥 マスダモトヨシ


[略歴](1558-1640)萩藩永代家老、名は次郎、のち右衛門佐、晩年は玄蕃頭と称し、老後剃髪して牛庵と号した、主家の毛利家が関ヶ原の戦いに敗れ削封のとき、阿武郡須佐(須佐町)に移ったが、このころに玄祥は疲弊した藩財政の整理にあたり、負債償却に功をあげた。
[墓]阿武郡須佐町笠松山