浦 靱負  ウラユキエ


[略歴]](1795-1870)萩藩家老、名は元襄、号は慎斉、弘化四年に当役、安政五年当職などを歴任、のち領地の熊毛郡阿月(柳井市)に帰ったが、禁門の変後も正義派を支持し、藩論を主導した。
[墓]不詳