広沢真臣   ヒロサワサネオミ


[略歴](1833-71)萩城下に萩藩士伯村安利の四男として生まれる、政治家、幼名は李之進、波多野家の養子となり金吾・籐右衛門、のち藩命で広沢と改姓し、兵助・真臣と称した、当役手元役・政務役など要職を歴任して藩政改革にあたった、討幕に尽くし、対幕交渉にあたって、慶応二年厳島で勝海舟と休戦講和を結んだ、維新後は、参与・民部大輔・参議などを歴任、版籍奉還・警察制度の調査などを推進したが、明治四年暗殺された 。
[墓]東京大夫山
[誕生地](地図